さようならゆふこ
そう書いてね。ポストまでいったんだよ。
そしたらね、あいつから電話が入ったんだよ。
「どうしてる?」
ってね。
「うん、決心したよ、そのつもりでいたところだよ」
「声がおかしいよ」
「うん、今ね、意を決して手紙を入れるところだよ」
「どのようにきめたの? 」
「別れることに決めたよ」
「なに言ってんだよ、馬鹿いうなよ」
でもね、君、おれ、あいつを愛してんだよ。
これ以上、何も出来ないよ、どのようにすればいいんだよ。
そう書いてね。ポストまでいったんだよ。
そしたらね、あいつから電話が入ったんだよ。
「どうしてる?」
ってね。
「うん、決心したよ、そのつもりでいたところだよ」
「声がおかしいよ」
「うん、今ね、意を決して手紙を入れるところだよ」
「どのようにきめたの? 」
「別れることに決めたよ」
「なに言ってんだよ、馬鹿いうなよ」
でもね、君、おれ、あいつを愛してんだよ。
これ以上、何も出来ないよ、どのようにすればいいんだよ。
7月11日
おかあさん、こんなに飲んだんだけど、酔えないんだよね。
でも、これくらい酔っ払わないとこころが破れてしまいそうなんだよね。
テレビも見れないんだ。
でも、昼間から酔っ払っちゃみっとももないから、夕暮れになるとやるんだ。
おかあさん、もうこれくらいでいいかいな。
これでもオンちゃんがんばったんだよ。
お前とね、あのアルプスの麓をあるいてみたかった。
でも、もう駄目だよね。
おまえはオンちゃんを許してくれないよね。
足、大丈夫かい?
もういっぱい飲むよ。
もう少しでお前の誕生日だね。
マンゴー送ろうと思ったけど、こんな調子じゃ由布子は怒るよね。
ゆふこ、もういっぱいだけ飲むよ。
そしたら、涙だけでねむれそうだよ。
きょうは珍しくいい天気だった。
金もない。明後日は10万円振り込まなくてはならない。
「たいへんだねえ」
ええ、大変です。でも、大変なのは自分自身なので、そういっている人ではない。
「後輩や先輩が、いい、良いって言ってくれるのはお世辞だ」
俊介の妻由布子はそう言った。
俊介はそうだね、気に掛けておかないとと思った。
13年も前の話である。独立という甘い言葉に魅せられたのは紛れもない俊介自
身であった。
今宵、したたかに酒を呑んで屋富祖から歩いて帰った。
「由布子、お前がいいよ。愛しているよ」
独り言しかならない夜空に向かって俊介は心に叫んだ。
何になる、くだらない。
俊介は、我慢しきれずに路地の電柱に隠れて立ちションをやった。
涙も出なかった。
もうお終いか。
友も去っていった。
誰の所為でもない。己の所為だ。
このブログだって、もう何ヶ月も書いてはないけれど、友へのメッセージのつもりだっ
た。でも、数ヶ月誰も見てくれてはない。本当に日記になってしまった。
良いの覚めぬ内に寝よう。
おやすみ、愛し子よ。不甲斐ないこの父を許しておくれ。
今年に入り、2度目の波の上宮に来た。
最近、お参りの人数が増えたような気がする。「困ったときの神頼み」と万事休した時には鳥居をくぐったけれど、勝手のいいわがままな己のことなど神が助けるものかとも思いつつ、それもお願いする厚かましさが後ろめたかった。
数年前「神社参拝」の案内を境内にみつけた。そこには「困った時こそ神様にすがりなさい。神様はあなたを見捨てないでしょう」とあった。そうなんだと己に都合よく解釈し、幾分、気も晴れて、それからというものはわだかまりもなく訪れるようになった。
10月の下旬、
「貴社とK社との取引はしない。懸案中のものは直接K社がやる」
と平河から一方的に宣言され、A社との取引途中であった取引を取り上げられた。
取引を整理する為に、俊介は2度とやるまいと決めていた年金担保の融資に手を出した。残金は自営業の再構築の資金にするために借入をした。
また、その資金を10月の終わりに与那覇社長に、4,5日ということで融通した金が返ってこない。11月、12月とその資金を運用する事もできず、持ち金も底をついた。毎日の必要な金も事欠くようになった。
与那覇社長は「明後日には」とか「来週は」とかいいながら、もう三ヶ月になろうとしている。万策尽きた俊介は、途方にくれた。
いままではお願いするものがあった。神に縋る具体的なものがあった。
しかし、きょうの俊介には具体的なものがない。ただ、ただ、助けてください、という以外にはない空しい願いだった。
拍手を打ち、拝殿を後にした俊介は、鳥居を出て境内を左に折れ遊歩道を歩き小高くなった展望台に出た。東シナ海がグッと那覇市内に向けて割り込んだ湾内の波は静かで通り過ぎてゆく南風も心地良かった。波の上ビーチではしゃぐ家族連れも俊介の目には虚ろに映った。
我に返ったとき、俊介は那覇大橋を歩いていた。風が薄くなった髪を乱してゆく。無気力が心地良かった。何も考える事が出来ない事が、今の俊介には幸せだった。
どうにもならない。
欄干に腕を置いて、遠く、遠く、慶良間の島影を見ていると、赴任してきた当時の事などが走馬灯のように巡っては消えた。左遷だ、将来が見えない等と世界の終わりのように考え、悩んだ事がなつかしかった。
甘い感傷が俊介の背筋を冷たく貫いた。
いつもの年は東シナ海を望む小高い丘に立つ「波の上宮」から参拝を始める。「波の上宮」1社で終わらせることもあった。
今年は三社詣りすることに決めたので順路となる出雲大社からのコースにした。大社は分社であろう、小さな社である。
ここでは参詣だけを済ませて、奥武山公園内の護国神社に向かった。
元日は南国沖縄に不似合いな北からの寒風が強かった。
奥武山公園は空港から車で5分、モノレールでは2,3分で着く位置にある。モノレールは奥武山公園敷地の四方の2辺を囲うようにして走っている。公園駅と壺川駅が公園の入り口駅となっている。俊介はモノレールで訪れる事があるが、その時は壺川駅で降りる。国場川が駅と公園の間に割って入って海へと流れている。俊介は駅から公園に向かって国場川を横切る橋を渡るのが好きだからだ。
奥武山公園内の建築中の那覇市民球場は骨格がほぼ立ち上がっていて、周囲の公園風景を圧倒していた。
年毎に正月の参拝客が増えている気がする。
そういえば、元日の参拝はここ3年間で、その前は実家の近くの社を参拝していた。沖縄では3日か4日にしか参拝したことはなかった。それも「波の上宮」だけであった。
護国神社ではお神酒の無料サービスがあり、あまり待つ人もなかったので列に加わった。
お神酒を飲み終えて、ふと目を上げた瞬間、目の前に次女が通り過ぎて行った。次女が沖縄にいるわけではないから、よく似た女性である。
「次女にそっくりだよ」
しのぶの腕を取り、そっと指差す。
「あまりよく見えなかった。そういえば、この前は長女に良く似てるといったよね」
この数年、妻や長女や次女のことをよく思い出す。夢にも見る。
俊介の気持ちが、家庭に近づけば近づくほど、俊介と家庭との距離が遠くなっていく気がする。
「平河」
彼の品のない遊び人風体を思い浮かべた。
「許せん」
俊介は高鳴る鼓動を深呼吸で抑えた。参道を行き交う人々の晴れやかな服装も楽しげな屈託のない笑顔までもが俊介を空虚な谷間へと引きずりこんで行った。
「波の上宮」は大層にぎやかだった。
昨年はK社とのトラブルがあり、しばしばここを参拝した。神頼みをした。
おみくじを買ったが大吉であった。昨年も大吉だった。妻が
「大吉より吉のほうがいい」
と言っていたのを想い出す。吉はこれから大吉に向かって運が上向いていくからだと言う。妻の父は棟梁であったからこういうことは詳しい。
天照大神と波の上宮のお札と家内安全・商売繁盛のお札、沖縄ではどこの家庭でも正月には祀ると言う竈のお札と破魔矢を揃えた。
露店で小さな「丑」の置物を求め、饅頭をふたつ買ってもう1社参拝することにした。
地元では車のお払いに行く「成田山」である。
那覇市内から車で30分のところの中城村の小高い里山のような山の中腹に、東シナ海を見下ろすように建っている。
晴れた日などは遠く知念半島が眼下の中城湾を抱き込むようにして東シナ海へと延びている景色が俊介は好きだった。
この日は風がなお強く、寒かった。
元日が明けたばかりの0時過ぎ、平河から年賀のメールが届いた。
あの悪夢の幕開けであった8月24日の平河からのメール。
アドレスだけを記載したメールが何を意味するのか判らなかった。そのとき不気味さに戦慄を覚えた記憶が蘇えった。
今年もこれが新年の幕開けかと思うと真の闘いがはじまるかと思うと憂鬱だった。
しかし負けるわけには行かない。どんな手を使ってでも勝たねばならないと意を決した。
そんな三社詣りであった。
心は寒々と冷え切っていた。
元日の朝もどんよりしていた。空は雪国のように雲が重く垂れていた。
初日の出を拝すつもりで、元日の朝は5時から起きて天気を気にしていた。天気予報は初日を期待できるものではなかったが、今年はどうしても強い願いをしてみたかった。初日は会社の東に突き出したベランダから真正面にみる事ができる。浦添市も那覇市も山はないが起伏があり、丘が存在する。ベランダから見る首里の丘には首里城の赤屋根が正面に見える。連なる左手の丘の上には、聳えるように浦添市役所がある。丘の上から向うの丘を見ているようで、眼下は浦添の家々が広がっている。ここも台地状になっているのだ。
少しでも青空が雲間に現われるなら、いつでも出かけるつもりでいた。7時を過ぎても外は未だ暗かった。結局、この日は太陽は顔を出す事はなかった。
10時を廻った頃、しのぶから電話が入った。
「三社詣に行くなら付き合ってもいいよ」
車を処分して、バスと徒歩にかえて1年半余りになる。三社詣のように、あちこちと歩き回るには車がないと不便である。そんな時、しのぶが電話をかけてくる。しのぶが用事で出かけられないときは、車を貸すと云って来てくれる。
「初日の出がだめだったので、是非、三社詣をしたい」、しのぶも一緒に行くことになった。
10時半。一階のピロティーに着いたという電話があり、テレビのスイッチを入れ、火元を確認して出た。2階の廊下を急ぎ、会談を降りようとして、火元が気になり、降りかけた階段を急いで戻った。最近、こうしたことが気にかかるようになった。歳の所為かと苦笑いして小走りにしのぶの車に乗り込んだ。
「おめでとう」
「おめでとう今年もよろしくお願いします」
元日の沖縄は寒かった。陽が射す事はない。
実家では、娘たちが妻と三社詣に行く準備をしている頃だろう。昨夏のあの事さへなかったら、多分、な久しぶりに家族団欒、朝からk数の子を肴に酒を呑みながらテレビでも観ていたろうにと空虚な、取り返しのつかなくなった人生の暗路を予感した。
あれは18日土曜日のことだった。 俊介が車を手放して1年半になる。この日は久し振りに友人と糸満ファーマー市場に向っていた。車を走らせていた頃は野菜や果物を求めてよく行ったものだ。浦添から小一時間かかるが、時間をかけても新鮮で安い南部産の野菜や果物が手に入るのでよく出かけた。
この日は友人からの誘いがあって、久し振りでもあったし、土曜日の昼を過ぎていたのでK社の平河からは電話もないだろうと同行することにした。
那覇空港を過ぎて右に自衛隊の基地、左に郊外レストランが並ぶ豊見城市、糸満市の境目辺りまで来て「沖縄そば屋」に入ろうとしたとき携帯がなった。土曜日の午後一時。こんな時間に電話をかけてくるのはK社の平河しかいない。判断が甘かった。
「先に注文してて、直ぐ行くから」友人にそう云って、建物の影に入り、電話をとった。
「はい、宇佐見です」 限界に来ていた。激昂する気持を押さえるのに、何度も大きく深呼吸をしなくてはならなかった。
「ああ、宇佐見さん。メール見ました。債務は認めるが、350万しか認められないということですか」声は押さえているが、不機嫌丸出しだった。大きな声は出さないな、と返って不気味である。最近では、電話が鳴るたびにびくついた。平河にも与那覇社長にもできるだけ悟られないようにしていたが、多分、見透かされていると思っていた。
「ええ、そうです」
「全部あなたの言い分を認めろというのですか」語気が荒くなった。
「違うでしょう。その案はこちらから出した譲歩案です。こっちの主張は、A社に請求した1,500万円の相当商品の御社からの請求額1,200万円が基本です。それから、既に支払った600万円を差し引いた600万円が私どもの残る負債だと何度も申し上げています」落ち着けと自身に言い聞かせながら、俊介はこみ上げて来る怒りを漸く押さえた。「絶対、感情的になるな」与那覇社長の厳命であった。
「それなら、当社とS社の負債は600万でいいんですね」
「いえ、違います。A社は御社に関する負債はすべてK社と話がついていると云ってます。何度も云いますが、当社の帳簿にはA社に対して400万の売掛があります。K社はA社と勝手に別処理をしているのでしょう。それに起因するなら、この責任を取ってもらいます」俊介はよく言ったと思った。何だか目の前が急に明るくなった。重い何かが少し、外れたような気がした。
「それなら、請求もしてなかったこちらも悪いが、A社にはK社という口座が帳簿の何処にもない。従って、K社がA社と残債務についてやることはない。俺が誠意でやったんじゃないか。誠意を踏みにじるならK社がもっている2,600万の債権をそっちに振り向ける。A社との契約もなかったことにする」また同じ事を言い始めた、声が荒くなった。きょうも始まるか。しかし、もう動じない。隠すものはないし、庇う者も今は意識から払拭している。
与那覇社長からは、「真実と事実だけを言うんだ。良い悪いは関係ない。悪いことは認め、謝るんだ。いい加減な事で妥協したりしてはいけない」何度、この言葉を聞いてきたことだろう。
「2,600万の債権は認める訳にはいかない。私が納品書・請求書をK社からもらっているのは1,200万、それ以外は見たこともない」
「1,500万以外は認めないということか」
「わたしの認識だ。誤りがあったら話し合えばいい」
あとから電話する。そう云って、一方的に電話は切られた。いつもの、通りだ。きょうだけは、何だか様子が違うな、俊介は感じた。俊介がこれだけの長い意見が云えるような雰囲気ではなかった。
しかし、暗然とした心の靄は濃くなるばかりであった。
きょうは朝から天気がいい。久し振りのすがすがしい朝だ。
俊介は今朝も7時前にマンションを出た。2、3日前にもあった20代の男が、肩から袋をぶら下げて作業着姿で角を曲がってきた。鳶を仕事しているらしい。友人の師弟でとび職をしている男がいるが服装でわかる。
何故か懐かしさが全身を包んだ。あれから1週間が過ぎるが変化はない。債務は確定したが、この歳で払える目処は立たない。10年前退職して、少しの我慢をしていれば今ごろは悠々自適な生活をしていただろう。
10分程でバス停に着いた。58号線のバス路線は待つことなしに那覇行きのバスが来る。俊介は来たバスに乗りさえすればいい。事務所までは3つ目の停留所だ。バスレーンのお陰でどんなに混んでいても数分で着く。
あれは3日前だった。k社から「メールは受け取った。再検討の余地はないということか」と同じ口調である。立て板に水を流すような口調で喋る。ある時は恫喝し、ある時は猫なで声で、又ある時は平和そのもののような声で話す。しかも、内容の変化は全くなく、1時間も2時間も話す。そんなことが始まって2ヶ月になる。いつの間にか俊介は仕入代金の支払が遅延していることで何故ここまで脅迫めいたことをされ黙っていなくてはならないのか。そう思いはじめて2週間あまりが経とうとしてる。
あれは18日の土曜日のことであった。
俊介は7時前に家を出て、事務所には7時過ぎに着いた。
国道58号線は本島北部に行くバス路線が集中している為、俊介が住む浦添は2,3分おきに路線バスが来る。
事務所についても俊介は落ち着かなかった。何をどうしていいかわからなかった。
昨日作成した債務確認書に目を通した。交渉の余地などないという書き方にも取れた。
少し手を入れて、表現を柔らかくした。
9月18日、相手から提示された条件は、一向に修正される事はなかった。俊介としても条件を変えるわけにはいかない。
すなわち、話し合いも何もないのである。同じ事の繰り返しであった。
「納得いかないことがあったら言ってくれ」というけれど、出したら出したで、全く認めようとはしない。
8時になる。
社長が出社してくるのが待ち遠しかった。昨夜、作り上げた文書を観て欲しかった。
8時丁度にドアが開いた。俊介は急いで昨夜作り上げた書面に目を通してもらう。
「これでいいんだよ。事実はひとつしかない。悪い事は悪い。だからといって、すべて飲み込む必要はない」
いつものように歯切れがいい。
「また電話で何時間も同じ話をされるかと思うと憂鬱になるよ」
きょう一日の憂鬱がまた続く。交渉のプロはこうした状況を狙っているのだという。
多少、こちらにも弱みがある。売掛金が回収できてなかったとはいえ、一年以上も支払ってなかった。
もともと、K社が一年余りも、納品書・請求書を送ってこなかった。俊介は自分ひとり悪者になるのが堪えられなかった。
家族の事が頭をよぎる。このまま押し切って大丈夫だろうか。
14時丁度。
電話がない。なければないで気になってくる。
俊介は自分が崖っぷちにいることを悟っていた。
4階建ての小さなビルの事務所のベランダから沖縄の街並みは、秋の陽に輝いて俊介の目を射る。
2年半前にこのビルに移転してきたときは、将来の希望に燃えていた。
2年を過ぎて、俊介は未だかって経験した事のない局面を迎え、昨夜もほとんど眠る事もできなかった。
家を離れて20数年になる。毎日のように、妻や娘たちの姿を夢見るようになって久しい。
「おとうさん!」
時折、次女の声に昼のうたた寝を起こされる。付けっ放しのテレビからの声であったのかは定かではない。
「また!おとうさんは何もしなくていいって言ってるでしょう!余計なことをするんだから」
玉ねぎを切り、20年余りの独身生活で、多少、うまくなったと思う自慢のみそ汁を作っていて、つい目を離した隙に吹きこぼして
しまったような時など、吹きこぼしたみそ汁を拭き取りながら、俊介はそういう妻の声を聞く。
何の変哲もない平穏な日常生活が、どんなに素晴らしいものであるかを悟ったときは、俊介はすでに人生の終焉近くにいた。
7月、
「これで、俺は家族の下に帰れる」
と胸を膨らませた。2年半前、どんな苦労をも厭わないと決めてもいた。漸く、先が見えてきたと思った。
「近況を知らせてくれ」
という友人の武彦にも、「帰るぞ!」と知らせるつもりでいた。
だから、8月の盆も帰らなかった。来年の正月までには、すべてを清算して妻の元に帰ろうと希望に溢れていた。
武彦からの「近況を知らせろ」というメールを受け取って、2週間後、状況が一変した。
帰るなどという甘い夢は微塵に砕けとんだ。守ってきた小さな家とささやかな生活が消し飛んでしまうかもしれない。
明日はあいつに回答しなければならない。明日は最終回答になるだろう。
これから先、どう転ぶかはわからない。独りでどこまでやれるか、覚悟を決めねばなるまい。
さまざまな経験を積んできたつもりでいたが、短い人生の経験なんて、無数にある出来事の一部に過ぎないことを知った。
友人の顔が浮かぶ。
「どうしたらいい?」
武彦だって困惑するだろう。
もう少し早く相談していたらと俊介は後悔した。多大な判断ミスがあった。判断ミスは相手次第で単なるミスでは済まない。
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